複合的表現Ⅰ、スクーリングを1日休んでピンチ!

武蔵美通信『複合的表現Ⅰ』は、油絵学科の選択必修科目です。

油絵学科は絵画、日本画、版画の3コースがあって(今は版画はコースじゃなくなったのかな)、いずれも2次元的というか平面の作業ですが、複合的表現は、そんな「いつもは絵を描いたりしている」人たちが、いわば立体制作に挑戦する授業です。
スクーリングも、彫刻の先生が指導してくださいます。
必修科目とはいえ選択必修なので、取っても取らなくてもいいわけですが、取らなければ一生立体に携わることはないかもしれません。
いやじつは、「立体? 面倒だし億劫だし、やらなくてもいっかなぁ」と思っていたのですが(笑)、あるのに受けないというのは、わたしの好奇心魂がなんだか落ち着かず、結局は『複合的表現Ⅱ』と『複合的表現Ⅰ』を同時に履修することになったわけです。
前年にもこのセットで履修し、スクーリングを申し込んだのですが、『複合的表現Ⅱ』の日程を終えたあと、どうしても外せない予定ができてしまって、『複合的表現Ⅰ』のほうは泣く泣くキャンセル、今回はそのリベンジ受講です。

▼まずはシラバスで、科目の概要▼
https://cc.musabi.ac.jp/campus/wp-content/uploads/sites/2/2018/01/2017_fukugoutekihyougen1.pdf

受講:2018年 夏期スクーリング

複合的表現Ⅰのテーマは「内的空間の表出」

シラバスを読むと、テーマは「内的空間の表出」。やたらと哲学的というか難解に書かれていますが、平たく言えば、「箱の中に自分の世界を作りなさい」ということだと受け止めてよいかと思いました。
作品というのはそもそも自分の世界を構築することで、たとえば自由課題で絵を描くと、出そうとしなくても自分の世界がそのまま出てきますから、基本的には、それを箱の中に作ればいいということかなぁと、そのように解釈しました。
6日間のスクーリングで、(最初は音楽を聴いてドローイングをしたりとウォーミングアップ的なことをやりますが)、最終的に机上に載るぐらいの大きさの立体作品を制作します。

支持体は木箱。金属や紙、木、粘土など様々な素材を使って、写真や手紙、小物などの思い出の品も加えて、自己の内的世界を表現するわけです。
材料費を集める、と書かれていたので、「支持体になる箱が配られて、その中にいろいろ貼ったりして作るのか。机の上でちょこちょこやる作業だな」と軽く考えていたのですが、違っていました。
教室の後ろには、様々な太さの材木がかなりの本数用意してあり、作業台があり、工具などが並べられています(中学の時に男子がやっていた「技術科」の授業の教室みたい)。
つまり支持体になる箱自体も、それらを使って自分で作るということで、もっといえば箱の大きさや形も自由、さらにいえば箱でなくてもよい、ということでした。
作業台も工具も道具も、人数分あるわけではないので、順番待ちしたり譲り合ったりしながら使って、仕上げてゆきます。
そんなわけで、ここからは、何を作るかということと、どんな形にするかということを同時に考えてゆきます。

内的空間の元になる体験

わたしは、自分の中で強烈に残っている幼い頃の思い出を手がかりに、内的世界を表現することにしました。造形基礎Ⅰの提出課題でも選んだテーマです。
箱の中に作るのは、父と2人で花見に行ったときの状況です。

わたしの父は工業高校を出て地元広島にある新聞社に勤めていましたが、勤務中に当時始まったばかりだった武蔵美通信を受講しました。まだ短大だけで、スクーリングは夏のみ。校舎は吉祥寺にしかなく、教室の一部が宿泊施設としてあてられていて、一人につき畳一畳分のスペースの中で、寝たり荷物を置いたり、残った課題をやったりしていたそうです。
毎年夏には上京してスクーリングを受け、4年間かけて卒業し、その後は新聞社を退職してグラフィックデザイナーとして仕事を始めました。
父が独立すると同時に、母は収入を支えるために仕事を始めました。お店を借り、最初は駄菓子や飲み物を売り、そのうち鉄板を入れてお好み焼き屋さんを始め、地元の人たちでけっこう繁盛していました。高度成長期の、世の中が活気に溢れて賑わっていた頃です。
箱の中に作るのは、そんな頃に行った花見の日の出来事です。
母が忙しかったためか、まだ仕事のあまり多くなかった父に連れられて、花見に行きました。ポッキーやキャラメルなどお菓子を買ってもらい、小さな紙袋に入れて手に持たされていたような気がします。
地元でもよく知られた花見の名所の公園に行き、適当な桜の木の下に場所を決めると、地面に直に座りました。父はあまり口数が多い方ではなく、わたしも同じような性格なので、2人で何も言わずにポッキーをポリポリ食べました。周囲は家族連れがレジャーシートを敷き、お弁当を広げてにぎわっているのに、わたしたちは会話もなく、なんだか居心地が悪かった感覚をよく覚えています。2人ぽっちで、しかも何も敷いていないのを見かねたのか、近くにいた一家のお母さんらしき人が、「これ敷いてください」と新聞紙を渡してくれました。
引き上げて帰る途中だったか、人が集まっているところを通りました。人だかりの中央で、男の人が一人、仰向けに倒れて目を閉じています。救急車を待つ間だったのか何だったのかはよくわかりません。ただ、ざわざわする中で誰かが「もう死んでる」と言っているのが聞こえてきました。酔って転んで、頭を打った、とも言っていました。
周囲は桜が咲き乱れて明るい光に満ち、花びらが美しく散ってゆきます。男の人は、ただ眠っているだけのようにも見えました。もう生きてないということが、不思議な感覚で襲ってきます。生まれて初めて死んでいる人を目のあたりにして、なんだか頭がぼうっとしてくるのを感じました。
幼心に死んでいる人を初めて目にした体験、自分が育った家庭環境と当時の状況、そして今また自分も父と同じように武蔵美通信を受けていること。
これらを総合して、内的世界の表出として作品化することにしました。
その光景がわたしの中で思い出されるとき、記憶のシーンはいつもモノクロームで蘇ってきます。それは後に、子供の頃のモノクロ写真のアルバムなどを見たときの記憶と錯綜しているのかもしれません。色遣いはモノクロームにすることを、何となくイメージしました。

内的空間をどのように形にして表現するか

わたしの場合、作品を作るときには、最初からきちんと決めてその通りに仕上げるのではなく、作りながら少しずつ方向性が固まっていって、最終的に仕上がってゆくものだという気がしています。わたしの作品の作り方は大抵そうです。
最初に描いたイメージ通りに完成するなんてまずないし、そもそも完璧にイメージするなんてまず不可能じゃないでしょうか。人間が自分の頭で考えられることなんて、顕在意識のほんの一部でしかないし、たかが知れているという気がします。すこしずつ、探りながら、実際に手を動かしてゆき、現れた結果に刺激されて次の新しい一手を加え、そこからまたイマジネーションを広げて試行錯誤をくり返して、最終的にどこかでまとめに入って仕上げる。
こういうことが楽しいから、わたしは絵を描いたりものを作ったりしているのだと思っています。自分自身でさえ自覚していない、潜在意識下にあるかぎりなく無限の創造性を、手を動かすことで引き出してゆく、それこそがものを作る醍醐味だと考えているんですね。
なので、最初の手がかりとなる一手は、これから無限の可能性が広がるための最小限の一手とします。

支持体=内的世界の舞台となる場。具体的にいえばお花見をした公園でしょうか。
必要なのは、地面、桜の木(できればたくさん)。
そこに人をいれます。最低限必要なのは、まだ若い父と幼いわたし、死んだ人。
最初に決めたのはこれだけでした。

ひとまずベースにする土台を、ほどよい巾の材木の中から選んでノコギリで切り、箱の柱にする大きな桜の木の形を決めて、ジグソーで切り出します。
音楽を聴いてドローイングをしたとき、60年代のモダンテイストの形態が自然と出てきたので、60年代っぽいスタイルで作ることを決めました。思い出の中の時代も、60年代の終わり頃です。
ここに小さな人間を立たせると「ちゃっちい感じにならないか」と先生からアドバイスをいただいたので、ちゃっちい感じにならないよういろいろ考えて、ジャコメッティのスタイルで人型を作ることにしました。素材は銅色でコーティングされたアルミワイヤー。大人の男性と小さな子供、つまり父と子供時代のわたしです。
お手本にしようとジャコメッティの彫刻の画像を見ていると、先生たちにウケました。さすが彫刻家の方々だなぁと妙に感心してしまいました(笑)。

2人の影をヒストグラム的な造形で落とし、地面の影は「死んだ人」を象徴したいので少し生命感を持たせるために、鉛筆でタッチを入れました。ちょっとだけ、子供の頃に父のアトリエで画集を見たマグリットを意識しています。
人型の影などは自然と自分の中から出てきて描いたり切ったりしたものですが、後になって、ブルーノ・ムナーリの絵本を見ていて、似ているテイストがあることに気づきました。以前見ていたものが、潜在意識の中に残っていたのかもしれません。
想い出の中をモノクロームの世界にするため、ほぼすべてをモノトーンで作りました。散った花びらをモノクロで作って地面に撒いたのが、自分でも特に気に入っています。
想い出に対して現実(現在)を現す外側はカラーにしようと思い、花びらだけですが、ピンクで作って対比させました。

大きな方針が決まると、ディテールにどんどん想像力がわく

土台と壁、桜の低木までは、木材をノコギリやジグソーで切って作りましたが、細かい造形がうまくいかないのと、もっと人工的でマットな、違う質感を取り込みたくなったのとで、スチレンボードを購入してカッターで切って桜並木を作りました。桜の木の重なりを表現するために、グレーの色画用紙を9種類買ってきて、モノクロームの段階を作りました。

極力、直線と規則的な曲線だけを使用して、人型と一部の枝だけ手仕事的なフォルムを加えています。これで結果的に、金属、木、紙、スチレンといった様々な素材を使うことになりました。
想い出の品は組み込んでいませんが、60年代のテイストそのものが父から受け継いだ想い出であることは、この作品のいちばんの要としています。
生と死の対比に、光と影の対比も対応させたかったので、家からスポットライトを持ってきて光をあて、影を出して、実物の影と色画用紙の色の影を混合して錯乱効果を狙っています。
最終的に講評会のために展示するときは、余ったモノトーンの色画用紙をバックや机の上などに貼ったり置いたりして、作品の周辺だけでもモノクロームの世界を見せられるように工夫しました。
かなり納得のいく仕上がりになったと思います。

参考作品は取らない方針だそうですが、先生が選抜した2作のうちの1作に選んでいただきました。
一緒に受けた受講生たちからは「一人だけ質が違う」という感想を聞けました。
質って何の質だろう(笑)。

大事なことを忘れてましたが、作品のタイトルをどうしようか、まだ考えていません。
『SAKURA』とか『SAKURA 1968』とか『死の影』とか? 影に意味を持たせたので『SHADOW』でもいいかな。
決まったら更新しますね。

正面から写真を撮っただけではわかりにくいので、動画を撮りました。
編集してまとめればいいのですが、撮りっぱなしですみません。

じつは体調を崩して1日休み、5日間で作った

実はこのスクーリングは、途中で体調を崩して1日休んでしまったために、5日間しか受けられませんでした。
前年まで4年間は、九州の福岡に住んでいたのですが、そのときは夏スクーリングを受ける何週間かの間だけ上京して、立川の駅前あたりにホテルを取ったりアパートを借りたりしていたので、宿から大学まで1時間以内で通えるし、家のことなんかも一切しなくていいので、体力的にもわりと楽にスクーリングを受けられました。
ところが、今年は急な転勤で7月の下旬に福岡から東京に引っ越して来たため、都内の自宅から通学に約2時間半もかけて通わなくてはならない状況になってしまったのです。引っ越しの準備なども含めて数か月間の疲労が蓄積されていたうえ、引っ越し直後のまだ段ボールが積みあがっている7月末から3週間ぶっ続けでスクーリングが入っていて、『複合的表現Ⅰ』はその最終週。自宅からなので家事などもすべて普通にやらなくてはならず、そのうえ毎年出展している二科展も締め切り間際で、自宅アトリエで出品作の100号2枚と80号2枚の計4枚を並行して描いていたような状態。連日の猛暑もあってさすがに疲労がピークに達したのか、スクーリング3日目についにダウンしてしまいました。
スクーリングは、最悪、6分の1までなら休んでも単位を落とすことは免れます。6日間のスクーリングならまる1日までは休んでもなんとかなります。作業が遅れたくなければ、たとえば午前中だけとか午後だけ休むという選択肢もありましたが、ともかく行き帰りの交通時間がかかりすぎることがダウンしたいちばんの原因なので、無理して疲労をためるよりも、イチかバチか1日しっかり休んで、回復してから残り日程に全力投球した方が、体調もスッキリしてよい作品を作れるのではと思ったのです。
やはりその判断は正しかったようで、まる1日しっかり休んだおかげで、かなりスッキリして翌日から元気に復活、ラストに向けてスパートをかけることができました。
そのため残りの日程は、朝すこし早く行ったり、施錠されるギリギリまで残って作業したりとけっこうな綱渡りでしたが、結果的には休んでよかったと思います。