ライターからアーティストへ

今でこそ、ほとんど毎日絵のことしか考えてないのだけど、アーティスト活動を始める前は、わたしの主な仕事はライター(文章を書くこと)でした。絵を描いて生きてゆこうと決めるまでには、あまり人には言いたくないことも含めて、いろんな事情があります。

忙しく不規則な生活で体調を崩す

一言でライターと言っても内容は様々だけど、わたしの場合は、新聞や雑誌の情報記事やインタビュー記事、コラムやエッセイなどを書いたり、ページや本を編集したり、誰かの書籍やサイト記事やブログを、著者の代わりに書いたりするのが主な仕事でした。ようは頼まれれば何でもやっていたのです。
雑誌社の所属記者だったこともあるけれど、基本的にはフリーランスで活動していたので、もうほんとにいろいろな仕事に携わったし、その過程で必要に迫られていろんな勉強をしてきました。どの仕事も興味深くて楽しかった反面、とにかく忙しい日々でした。
その頃は、文章を書くことがこれから先もずっと続いて一生の仕事になるのだと思っていたので、それならと、その分野の最高峰であるフィクションに足を踏み入れ、小説家をめざして習作も書いていました。
とにかく早くデビューしたくて、ライター仕事の合間にたくさんの原稿を書き、いろんな賞に応募したりもしました。
努力の甲斐あって、いくつかの短編が賞を受賞、小説雑誌や文庫本のアンソロジーに掲載されたり、ケータイ小説が連載されたりもしました。次の目標は、長編で賞を受賞して、単行本を出すことでした。そうすれば、一応、小説家と名乗れる立場にはなります。
400字詰めの原稿用紙で500枚程度の長編を何か月かかけて書き、賞に応募する。一次や二次審査は通過するけれど、なかなか受賞はできませんでした。
そんな毎日を送っていたので、時間はいくらあっても足りません。忙しいのに加えて、生活はとにかく不規則。徹夜で原稿を書き、ちょっと仮眠しただけで取材に出かけたり、1時間程度しか睡眠のとれない日が1週間以上も続いたり。なんだかもう、今考えてもめちゃくちゃな毎日を送っていました。

そんな生活をしていて、身体に負担がかからないわけがありません。長年のストレスが積み重なったのか、あるときに著しく体調を崩してしまいました。
毎日体が重く、何をやっても辛くて、気力もなく、ひどいときには、起き上がれなくなってしまったのです。
病院に行っても、検査をしても、特別に悪いところはみつからず、いろんな人に紹介してもらっていくつか病院を変えてみても同じことでした。
今思うと、疲労だけでなく過度のストレスも重なって、免疫力がかなり落ちていたのだと思います。
どう頑張っても仕事を続けられなくなり、お世話になった方に大変なご迷惑をかけることになりました。そんな状態なので、小説なんてもちろん書けるわけがありません。
もう何もできない、自分はもうダメなんだと絶望的な気持ちになりました。

絵を描くことは最後の砦

体調を崩して、たぶん相当心細くなっていたのだと思います。横になっている時間が増えると、実家で暮らしていた10代~20代の頃の光景を思い返すことが多くなっていました。
毎年夏になると、県美展の締め切りを目指して、アトリエにこもってただ一心にキャンバスに向かっていました。
窓の外に見える明るく強い陽射し、カラーボックスについたいくつもの絵の具汚れ、こってり盛り上げた油絵の具とオイルのにおい……。当時の記憶が胸いっぱいにあふれて、涙がこぼれました。
ただもう夢中で作品に向い、描かないときもそれを眺めながら、次はどうしよう、こうしようかなと考える毎日。そのときはそのときで、悩み苦しんでいたはずなのだけど、その苦しみも含めて、なんだかもう懐かしくてたまらなくなりました。

絵を描くことは、わたしにとっては最後の砦のようなものでした。
18歳の頃、美大を受験したくて親に猛反対されてあきらめたり、普通科大学を卒業するときに、今度こそ絵をやりたい、プロの画家としてやっていきていと思ったことをあきらめて就職したり、上京してライターの仕事を始めたときに時間にもスペースにも余裕がなくて絵を描くことを中断したり、様々な局面で絵をあきらめています。
逆にいうと、絵を描くことは、わたしにとっていつかは必ず再開すると決めていたライフワークのようなものであり、いつか帰ってくる場所でもあったのです。
とにかく、この状況をどうにかしたい、という一心で、わたしは絵を再開することを決めました。

絵を描くためには時間と体力が必要

そう思うといても立ってもいられず、とりあえずキャンバスと、手軽に使えるアクリル絵の具を手に入れました。
ちょっと無謀かなぁと、自分でも思っていたのですが……。
絵を描くというのは、とてつもなく体力を使うものです。こんなに体調が悪いのに、キャンバスになんて向かえるのだろうかとも思いました。
小さなキャンバスならまだしも、わたしが描こうとしたのは100号と80号。これまで描いてきた最大の大きさは50号だから、いきなり未知の大きさです。なぜこの大きさかと言うと、公募展とコンクールに出すことを目標にしようと思ったからでした。
描こうと決めたのが7月。公募情報を調べたところ、たまたま目前に締め切りがあったのです。100号は『小磯良平大賞展』に、80号は『二科展』。『小磯良平大賞展』は8月1日、『二科展』は8月末頃が締め切りでした。
狭い部屋に、今まで描いたこともない大きなキャンバス、遊び程度にしか使ったことがなかったアクリル絵の具。以前やっていた油絵とはいろんな面でちょっとずつ違っていて戸惑いもありましたが、それでも、夢中で絵具と戯れることは、わたしをとても癒してくれました。
相変わらず体調は良くなかったのですが、何をやってもただ辛いだけだったのに、少なくとも絵を描いている時間だけは描くことに夢中になれました。
もちろん、ちょっと描いては「はぁ~、疲れた」と言って寝転ぶ、という状況ではあったのですが、生きている時間全部が辛いだけだったときと比べたら、格段の進歩でした。
描いては疲れて横になる、ちょっと回復したらまた描く、また横になる。そんな風に過ごしているうちに、気付くと、ちょっとずつ描ける時間が長くなりました。
少しずつだけど、原稿を書く仕事もまたできるようになっていました。

絵を描くことを仕事にしたい

そのようにして作品を描き始めたのですが、続けるには大きな問題がありました。ライターの仕事を再開すると、絵を描く時間がなくなってしまうということです。
昔、ライターをしながら小説の原稿を書いていたように、仕事をめいっぱい詰めこんだうえに絵も本気で描くなんて、どう考えても無理な話です。そんなことをしていては、また同じことをくり返してしまいます。
ライターの原稿を書く仕事と小説を書くこととは、まだ文章を書くという作業の共通点も多かったけれど、今度は向かうベクトルがまったく違います。当然、身体への負担は比べ物にならないぐらい大きいでしょう。
でも、仕事を減らせば、当然、収入も減ってしまう。画材を買ったりコンクールに出したりするにはかなりのお金がかかるので、結果、絵を描くこともできなくなってしまいます。
そうやって考えてゆくと、解決策はひとつしかありませんでした。
そう、絵を描いている時間も、仕事の時間にしてしまえばいいのです。絵を描くことで収入を得られる暮らしになれば、思う存分描く時間をとることができるし、たとえ描かない時間があったとしても、絵の準備をしたり絵のことを考えたりと、絵の周辺で生活は回ってゆきます。
部屋に描きかけのキャンバスがいつも立っていて、それを眺めながら絵のことだけ考えて暮らす毎日。
そんなふうに自分の生活を変えてゆくことができれば、身体を壊すことなく健康でいられるのではないだろうか。というよりも、ここで変えなければ、もう健康には戻れないかも。生きてゆけないかもしれない。
そんな切実な思いで、わたしは画家を目指すことになったのです。