ひまわりを描くのはなぜか?

作品にはテーマがあります。主義だったり概念だったりモチーフだったり、人によっていろいろですが、たいていは短い言葉や文で言い表せるものが多いです。
逆にいうと、一言でテーマを説明できるように、アーティストはいつもいろんなことを考えている、といえるかもしれません。
わたしの場合、大きなテーマは、モチーフでもある「ひまわり」です。
「どんな絵を描いているのですか」と聞かれたら「ひまわりを描いています」と答えます。ひまわりを通じて表現したいことがいろいろあり、さらに詳しく聞かれたときにはそれらを説明します。
ひまわり以外のモチーフももちろん描きますが、ずっと続けている大きなテーマはひまわりです。ひまわりを描くようになったのは、こんな理由からです。

東日本大震災で見た光景

2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
その日は、前から楽しみにしていた映画『ハーブ&ドロシー』の最終日で、本来なら出かけていたところでしたが、前の夜、原稿が終わらず徹夜してしまっていたため、部屋で仮眠をとっていました。出かけようかやめようか考えているうちに時間が経って、ちょうどうとうとしかけたとき、激しい揺れが起こりました。14時46分のことです。
そのあとのことは、語り尽くされてきたとおりです。
江東区の自宅から、アップリンク(映画館)のある渋谷までは地下鉄で20分ちょっとかかるので、もし出かけていれば、帰宅できずに歩いたかどこかで夜を過ごさなければならなかったでしょうが、それは免れました。
食器棚が激しく揺れて、手製で取り付けていたグラスハンガーから50個近くのワイングラスが滑り落ちて、床がカケラでいっぱいになって怪我をしたり、あとは水道とガスがしばらく止まったり、その程度で済みました。
でも、東北はそうではありませんでした。いくつもの街が呑み込まれ破壊され、多くの人の命が失われました。

植物の持つ生命力

東北に友人や知人が多いこともあり、交通が回復してきた5月の終わり頃から、ボランティアに行くようになりました。盛岡市にある復興支援センターで、集まった支援物資の整理をしたり、沿岸に物資を運んだり、ほんとうにできる範囲のことしかできなかったのですが、何度か通いました。
8月の終わり頃、どこへ行く途中だったか、ひまわり畑を見る機会がありました。
盛岡市のすこし南の矢巾という町にある、大きなひまわり畑です。
海外や国内のひまわり畑をテレビや写真などで見たことはありましたが、実際に目で見て、その場に立ったのは初めてのことでした。
夏の強い陽射しの中、一面に黄色い花が咲きこぼれていました。
満開というよりは、花はもう終わりかけていて、枯れる一歩手前でした。乾燥した花びらがかろうじてくっついていて、どうにか生きている、という様子でした。
見たとたんに胸がいっぱいになったのを今でもよく覚えています。
なにかわけのわからない感情が押し寄せてきて、すっかり混乱していましたが、ただひとつ、強く思っていたことがあります。それは、ああ、やっぱりまた絵を描きたい、ということでした。このひまわりを描きたい、と思ったのです。
わたしにとってひまわりは、絵に再び向き合わせてくれたモチーフであり、ひまわりを描くことは、わたしにとって絵を描くことそのものといえるのです。

ひまわりの移り変わり

そんなふうにしてひまわりを描くようになって、もう6~7年が経ちます。長い間描いているので、同じモチーフとはいえ、変遷があります。
紆余曲折していますが、おおざっぱに言うとこんな感じでしょうか。
当初は、満開のひまわりを、固有色の黄色を使って描いていました。
それから、枯れかけて花びらのばらついた状態を細かく観察して描くようになり、枯れて種を蓄えた、まるでおばけのようなひまわりを、茶系を基調にして描くようになりました。
その後、すこしずつ自分の好きな色を使うようになってきます。枯れたひまわりなのに、鮮やかなピンクやブルーといったビビッドな色で表現するようになったのです。
また、種を梱包材のプチプチでスタンピングしたり、手法も工夫するようになりました。
コラージュ技法も使いました。英字新聞を切って貼ったり、別の画用紙や模造紙などに彩色したり模様を描いて、それを切って貼ったりします。絵具の盛り上がった紙パレットを丸く切って、種に見立てて貼ったりもしました。
最近では、花弁の散っていく過程を好んで描くようになりました。種もひとつずつ手作業で描いて、ちょっとグロテスクになったりしています。

モチーフを通して自分を描く

色彩や手法を様々に変えてはいますが、モチーフは相変わらずひまわりです。
ただ、年月を経て変わってきたのは、ひまわりの形を借りていながら、わたしが描いているのはわたし自身の内面だと思えるようになったことです。
それは、初めてひまわり畑を見たときからそうだったのかもしれません。わたしは、枯れかけてもなんとか持ちこたえているひまわりの花びらに、破壊されながら立ち直ろうとしている街や人を見ていたのかも。だからあんなに心打たれたのではないでしょうか。
また、絵を再開した理由には、わたし自身が著しく体調を崩したことも関係しているのですが、いろんなものを失ってぼろぼろになった自分の姿を、ひまわりに重ねていたのかもしれません。干からびて落ちかけた花びらは、どうすれば生きていけるか、必死に探っていた自分だったのかもしれないし、ひまわりの生きるチカラに、弱い自分を何とかしてもらいたかったのかもしれません。
作品は、人が自身の手で作り上げるものです。そこには、隠してもどうやっても、自分自身が現れてしまいます。描くことで現れてきた自分自身を発見し、反省し、再び生きてゆくためにまた描く……。絵を描いたり、ものを作ったりするというのは、そういう作業のくり返しなのかもしれないですね。