絵画Ⅵスクーリング、いい絵とはどんな作品か?
武蔵美通信『絵画Ⅵ』のテーマは「空間と構造」。これも、なんだかとても捉えにくい課題でした。
絵画はすべて空間と構造で成り立っています。そういう意味では何をどう描いてもいいわけで、逆にいえば、だからこそ何をどう描くかが問われるという、なんだか試されてるような授業でもありました。
この授業を、わたしは春スクの週末スクーリングで受けました。
当時、数年だけ福岡に住んでいたので、スク会場は福岡市の筑紫会館アトリエです。
福岡県立美術館の近くにある会館(レンタルスペース)で、天神駅から歩いて行けます。自宅のある大濠公園駅から電車で2駅、朝8時半にのんびり家を出れば、途中でコンビニに寄っても始業の9時には余裕で間に合う便利さでした。
7月に転勤が決まっていて、東京に引っ越す直前でした。
「空間と構造」のモチーフに混乱し、かなり慌ただしかったこともあり、ちょうど引っ越しの準備で家に散乱していたプチプチを持って行って「これを描きます!」と主張してみたり、なんだかよくわからない人に見えたことでしょう(笑)。
↓シラバス概要(絵画Ⅲから始まっています)。
https://cc.musabi.ac.jp/campus/wp-content/uploads/sites/2/2018/03/2018senmon_kaiga.pdf
受講:2018年6月。講師は前半A先生とK先生、後半M先生。
武蔵美通信スクーリング、福岡の専任の先生が退官
スクーリング課題は、前半3日間でエスキース1点提出、後半3日間で本制作1点提出。これらが、6月の週末の金土日を二回使って行われるというスケジュールです。
まずは余談から始まってすみませんが、前半3日間の朝、いきなりショックだったのは、ずっと福岡で教鞭を取っておられたS先生の姿がなかったことです。
絵画コースには地方会場があって、スクーリングを受けられる科目があります。地方はどこでもそうなのかもしれませんが、福岡では専任の先生がおられて、授業科目にかかわらず毎回指導してくださっていました。
教室は2部屋あるので、たとえば、受講科目や受講者の人数が多いときは、東京から1~2人、先生が出張でいらっしゃることもあります。
授業はたとえば、1階アトリエでは3人が絵画Ⅲ、1人が絵画Ⅵ、4階の会議室では3人が造形基礎のスクを受けていて、先生は回りながらそれぞれの課題に合った指導をする、といったような感じで行われます。全校生徒10人ぐらいの田舎の小さな小学校で、1~6年生までが同じ教室でそれぞれ自分の勉強をしているような感じでしょうか。
ですがその日は、いつもいちばん早く教室に着いていらっしゃるはずのS先生の姿が朝から見えません。授業は何事もなかったかのように始まり、東京からいらっしゃった2名の先生が前提講義を進められます。
思わず「あの、S先生は……?」と聞くと「定年で4月に退官されました」とのことでした。
数か月前に冬スクで指導を受けたばかりだったし、またすぐ逢える気でいたので本当に驚きました。前回のスクのときも、退官するなんてS先生は一言もおっしゃってなかったのですが、言わないようにしておられたこともあとで知りました。
福岡でスクーリングを受けるときはずっと指導を受けていて、成長度などもほんとうに親身になって把握してくださっていました。とても繊細な感性をお持ちで、暖かく、課題内容だけに関わらず美術全般のことまで、自分一人では見えていなかったたくさんのことも教えていただいたので、ぽっかり心に穴が開いたような気持になってしまいました。逆にいえば、退官されるまでの約2年間、偶然にもS先生の指導を受けられたことは、大きな財産になったと思います。
絵画Ⅵ、空間と構造に戸惑う
さて、突然のS先生のこと、転勤と引っ越しのこと、それに加えて「空間と構造」のわけわからなさで、かなり混乱したままドローイングを始めました。
学習指導書には、描きたいモチーフや資料を持参すること、校舎内の取材も可、とあったので、前述したようにプチプチ(緩衝材)を持っていきました。60㎝巾2メートルぐらいの、自分の好きな色でもあるピンク色の半透明のプチプチです。これを玄関の光が多いあたりに置いて、光の透けてくる感じを観察して、何か植物と組み合わせて構成できればと考え、植物の写真のプリントなども持参しました。
プチプチは工業製品なので、無機質だし規則的な配列があります。持参した資料の中から、蓮の葉をいろんな角度や距離から撮ったものを選び、光に透ける感じや、細胞の配列という共通点と、無機物と有機物の対比みたいなことも折り込めたらと思ったのですが、指導の先生に追及されると説明するのが一苦労で、もうめんどくさくなって、蓮の写真が参考資料だということにしてしまいました。それにしては、プチプチを玄関の自動ドアの前に置いたままだったので、かなりわけのわかんない受講生だったと思いますが(笑)。
絵画Ⅵ前半3日間はクロッキー数点とエスキースB21点提出
クロッキーを何点か描きながら、最終的には蓮をモチーフに、空間と構造を意識したエスキースを制作することにしました。
今回は2人の先生が回って来てくれるという進行ですが、着目点も教え方もそれぞれ正反対な感じで印象に残ったスクでした。
K先生は穏やかな人柄で(今回はお風邪で具合が悪そう)、絵画Ⅰのデッサンでも指導を受けたことがありますが、今回も参考になりそうな画家をたくさん教えてくださいました。
A先生は、抽象画家らしく、構成にとてもこだわりのある指導。クロッキーの線を一本引いた時点ですでに意図とか構図・構成とか戦略とかの話が始まって戸惑いましたが、制作が進むにつれ、解説してくださることがほんとうに理にかなっているし、指摘はキレッキレ。一体ふだんはどんな作品を描かれているのだろうと自宅に戻って検索したら、色もタッチもとても好みのグッとくる作品がたくさんヒットしてびっくりするやら感動するやら。考えてみれば当然のことなんですが、指導してくださる先生が日頃どんな作品を制作していらっしゃるか、実は知らずに指導を受けることが多かったなと、すこし反省もしました。知っていれば、指摘していただいたことをもっと深く考えて、自分なりに咀嚼して課題に生かすことができたかもしれません。
完成作品はこちら。K先生のご提案で、白を基調とした画家さんの作品も参考にして、こんな感じになりました。
クロッキー
エスキース(B2版)
パネルに画用紙を水張りしてきたので、鉛筆とアクリル絵の具、パステルを使いました。水性系メディウムも使用。中でも画用紙にモデリングペーストを重ねて作った透明感とニュアンスのある滑らかな白が気に入って、ペインティングナイフで何度か重ねています。
白を中央に大きく持ってきて、色彩をすこしずつ合わせて構成するというのは、以前から一度やってみたかったもので、A先生のアドバイスで空間や密度なども描きこんで、内心、とても気に入った作品になりました。
が、講評会でK先生から「モデペの使い方が間違ってる」とダメ出し。
どうやら、モデリングペーストは、ナイフなどでマチエールをつけるために使うもので、わたしのように(素材をそのまま絵の具として)使うのは間違っている、ということのようです。
これには驚きました。たしかに先生のおっしゃるような使い方も推奨されてますが、でもそれだけのために作られわけじゃないでしょう。100歩譲ってもしそうだとしても、わたしはホルベインの画材PRデモのために制作をしてるんじゃないのです。
油絵学科専門課程の授業のいちばん最初、絵画Ⅰの前提講義でも、「絵は何を描いても自由、画材は何をどう使っても自由」という解説だって受けています。
もっといえば、太古の昔、人間はそこらにあるいろいろな砂や石を拾ってきて洞窟に絵を描いていたんです。顔料を砕いてオイルに混ぜてキャンバスに塗っていた時代だってある。チューブの絵具やメディウムは、そういう歴史の中で、より使いやすくするために生まれてきたもので、逆に人が画材に使われてどうするの、と思うわけですよ(油彩のシルバーホワイトとか、科学的に不都合が生じる場合は別です)。
言いたいことはたくさんありましたが、まぁ反抗的に出て落とされても困るので、ムッとしつつもグッとこらえて終了。
いえむしろ、「それは違う!」と自身のコンセプトを確認できたことに感謝して、前半は終わろうと思います。
絵画Ⅵ後半3日間はF30号1点提出
さて、中2週間空けて、後半は30号本制作。本制作も、金・土・日曜日の週末3日間です。
わたしはF30号の木枠に水彩キャンバス(麻ではなく、表も裏も白いやつ)を張ってジェッソを塗って持っていきました。画材はアクリル絵具とパステルを使用、一部コラージュも。
講師は東京から、M先生。
当初はエスキースどおり白を基調に制作していましたが、「白をより白くするなら、別の色を下地に塗っておくといい」とのご指摘で、さんざん迷いつつも、とちゅうで濃いめの紫を塗布。
そこからようやく白で描き始めたところ、なにか自分でも意図しないぐるぐる模様がたくさん現れ……何かに導かれるように、気持ち悪いなぁと思いつつ手が止まらなくて、最終的には思いもよらないひどい作品が出来上がってしまいました。
こんなはずじゃなかったのに、とガックリ来て講評会に臨んだところ、なんとM先生、
「これは……、とてもいい作品だよ」
とおっしゃるではありませんか。
びっくりしてしまい、描いてる最中、気持ち悪くてしかたなかったのに手が止まらなかったことを白状したら、
「それは……出てきちゃったんだね(笑)」
と。
出てきちゃった……? そうなのだろうか!?
無意識下の領域から、自分にしかない自分だけの、何かこう、出そうとしてもなかなか出てこない何かが。
そうだったらいいのですが。
今の段階では、自分ではよくわからず、ただ気持ち悪いだけ。
完成作をアップするかどうかもちょっと迷っています。
いい絵とはどんな作品か
M先生は、「いい絵とはどんな絵か」という話をよくされていました。
正しく解釈できているかどうかは自信がないですが、それはたとえば、食卓のある部屋に飾られていて、気持ちいいけど誰もがすっと見逃してしまう絵と、なんかどうも嫌な感じの絵だなとひっかかる絵。どちらがいい絵かと。答えは後者なのだそうです。
わたしの今回の作品は、その「なんかひっかかる絵」になってしまったようです。
この「出てきてしまった気持ち悪いもの」を、自分でちゃんと受け止めることができて、自由自在に使いこなせるようになれば、独自の作風を築いて、迷うことなく作品をどんどん作れるようになれるのかもしれません。
ただ、今のわたしにはこれをそのまま受け入れることが、ちょっとまだ出来そうにないのです。
これを自分で受け入れてここから展開して行くかどうか、今後もこの姿勢を続けていくかどうか。それとも、まだまだ他の何かが出てきてくれるのを探して待ち続けるか。
自分自身の判断なのでよく考えなくてはいけませんが、これからも描いてゆくことには変わりありません。
ともかく、今後のための貴重な経験値になったように思います。