「アトリエの窓は北向き」と言ったのはベルト・モリゾ。

アトリエを建てるとき、または家の中でどの部屋をアトリエにするかを決めるとき、判断の基準になるのは窓の向きだと言われています。
では、アトリエにはどの方角の窓がふさわしいのでしょうか?

アトリエの窓は、基本的には北向き

結論からいえば「アトリエの窓は北向き」というのが基本です。それに加えて、北側に天窓があると、もっともよいと言われています。理由は、安定した採光が得られるからです。
たとえば、目の前に花を置いて、それを見ながら描くと考えてみましょう。
もしも南向きだったら、窓から部屋の中に日光が直接射し込んでしまいます。花に直射日光があたって、明るいところと暗いところの差がつきすぎ、しかも時間が経つとその位置が日時計のように刻一刻と動いて、やがて光があたらなくなってしまいます。つまり、描いてるうちにどんどん目の前の状況が変わってしまうわけです。これでは、動いてる動物を描くのと同じぐらい描きづらいですよね。

この図は、福岡にあるカラーコンサルタント会社・イルドクルールさんの資料です。わかりやすいのでお借りしました。
北向きの窓からは、直射日光が部屋に入ってこないのがよくわかりますよね。
たとえば、アトリエでモチーフを組んだとき、向かって左側に北向きの窓があるとすると、窓の外が明るく、その光をほんわりと感じて、モチーフは左側が明るく、右側が暗い。影の位置もほぼ変わりません。この状況が一日を通じてほとんど変わりなく、安定した採光で長い時間モチーフと向き合うことができます。
静物をモチーフとして設定する場合だけではなく、色彩が判断しやすい、目が疲れない、また柔らかな採光だと集中力が上がる、といった利点もあります。
例えば、色を混ぜて作っているパレットに直射日光があたると、正確な調色ができないし、描いている絵が直射日光に照らされると、もう何が何だかわからなくなってしまいます。まぶしくて目が疲れてしまうし、そんな状態では集中力もなくなってしまいますよね。

北向きの窓を作業場にする職業

前述のイルドクルールさんも、カラー診断を南や南西向きの窓のある部屋ではしないと書かれています。
同じような理由で、塗料を作る業者さんが色を調色したりする作業部屋も必ず北向きに作ると言われています。やはり、一日を通して、また年間を通じて光が一定じゃなければ、正確な色が作れないからなんですね。
また、真珠の鑑定士さんが鑑定作業をする部屋も北窓だそうです。真珠には「テリ」と呼ばれる輝きの度合いがあります。このテリはとても微妙な強弱によってグレードを分けなければならないため、あたる光が安定することはとても重要なんですね。
ちなみに、同じ理由で、作業をするのは曇りの日に決まっていると言います。
他にも、アパレルメーカーで商品の検品をする作業室なども、北窓で作られています。
ただ、これらは自然光で仕事をすることを前提としているためであり、現在は照明技術が発達しているので、そういった設備を持てればそのかぎりではないでしょう。

北向きの窓にこだわったフェルメールやベルト・モリゾ

さて、まだ照明技術の発達していない頃には、画家にとって窓の方角は何を置いても譲れない、とても大切なものでした。
17世紀にオランダで活躍した画家・フェルメールは、残されているほとんどの作品が人物画ですが、ほぼ全部と言っていいほど、左側から窓の光が射し込む部屋の中にモデルを立たせています。

当時のフェルメールの自宅やアトリエの場所、建物の向きなどから考えて、この窓は北窓であることがわかっているそうです。
フェルメールは、絵を描く前にカメラ・オブ・スキュラという装置を使って撮影していたことも有名ですが、彼の絵の採光はたしかに、柔らかな光がほんのりと部屋の中を照らして、北向きらしい優しさです。

それよりもすこし後の時代の19世紀、印象派のベルト・モリゾという女流画家がいました。
モリゾ自身の作品よりも、マネが描いた彼女の肖像画のほうが有名だったりしますが、この人ですね。

このベルト・モリゾを描いた『画家モリゾ、マネの描いた美女 名画に隠された秘密』という映画があります。
モリゾの絵に対する情熱、当時の女性画家の生きづらさなども描き、若くてかっこいいマネが登場したりして興味深い作品ですが、この中でモリゾの印象的なセリフがあります。
「アトリエは北向きじゃないと」
ちょっと記憶はあやふやですが、モリゾ家が新しい家を買うか建てるかしたとき、モリゾが父親に強く言うのです。画家として、これからもずっとやっていきたいという決意を現した印象的なセリフです。
ご興味ありましたら、ぜひ見てみてくださいね。

予告編

DVDも出ていました!

DVDは買うにはちょっと高価ですが、プライムビデオなら300円ぐらいで見られるみたいです。

南向きの窓で描くウェイン・ティーボー

北窓は安定した採光が得られますが、むしろ南向き(または南東、南西)に窓があったほうがいい場合もあります。たとえば直射日光があたってくっきりとした影を落とす作品を描きたい場合ですね。
アメリカの現代画家・ウェイン・ティーボーのスウィーツの絵などはその例で、モチーフがとても気持ちよさそうな陽射しの中に置かれています。

なんともアメリカっぽい、いい作品ですよね。
このモチーフがアトリエで組まれたものかどうかはわかりませんが、自然光だとしたら、ちょっとクリーム色がかった光の色合いや影の長さ、そして何よりこのちょっとほのぼのした雰囲気から考えて、午後3時過ぎ頃のような気がします。ちょうどおやつの時間ですしね(笑)。もしも午前中なら、わたしのイメージからいえば、光はもっと青っぽい色になる気がするし、たぶん画家自身も、もっと朝らしいさわやかな雰囲気の絵にするのではないかと思えます。
ただ、見方によっては、これは照明光ともとれますよね。それなら色は自由に決められるし、モチーフを見ながら描くために、長時間、一定方向からの光をあて続けることもできますしね。

南西窓のアトリエが好きなわけ

さて、アトリエは北窓がいいと解説してきましたが、そうは言っても、じつはわたしは、私室だろうとアトリエだろうと、ガンガンに陽が射しこむ南向きの部屋が大好きです。
今住んでるマンションは、その南向きよりも、さらにいい南西向き。この方角に大きな掃き出し窓とベランダがあるところが気に入って決めました。ベランダに面した部屋が二つあり、片方をリビング、もう片方をアトリエにしています。アトリエだけで収まりきらないときは、リビングにも進出して作品を描いています。
なぜ南じゃなく南西かというと、午前中はあまり起きてることがなく活動しないので(笑)。あくまでわたしの場合は、午後~夕方にできるだけ長い時間、陽射しの移り変わりを感じられたほうが仕事がはかどると、これまでの経験からわかっていたからです。
一日アトリエにいて作業をするときなど、ふと窓の外のベランダに目をやると、植物が気持ちよさそうに陽を浴びたり、風に吹かれていたりして、とてもいい気分になります。
そのほうが集中力も上がるし、心も体もとても健康でいられます。

わたしが制作するうえでは、安定した同じ条件の採光よりも、気分良く過ごせることが何を置いても欠かせない要素です。
同じように、描くときに何がもっとも重要な条件なのかは人によってそれぞれ違うでしょうから、アトリエの窓についても、どの向きがふさわしいかというのは、最終的には「人による」というのが正しい答えなのかもしれません。
ついでにいえば、南西向きの部屋でも、雨の日や曇りの日は、北向き窓のようなほんのりした光になります。
そのときは、ほかにさし迫った予定などがなければ、花や静物を置いて描いたり、基礎デッサンをしたりしています。
こんな感じですね。

しかし、いくら陽あたりのいい部屋が好きだと言っても、ここまでになってしまうと、さすがに描くところではなくなるのですが(笑)。ちなみにこれは、日暮れ前、もっとも陽射しが部屋の奥まで射しこんでいる状態です。

こんなときは「休憩しなさい」というサインだと思って、一息入れてお茶を飲んだり、ベランダの外を眺めたり、制作物を見直したりふり返ったりする時間を持つようにしています。